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占い(毎月・12星座)を月の後半に、他・毎日雑記事をアップします!

【無駄を感じるって、余裕の実感とも取れるかも②】

こんにちは。otamaといいます

 

【無駄って、時にありがたいなぁ】と思うんです。

今回は、そのことについて、書いていきます

 

ちなみに、 

前回の記事を読んでないよっ!という方

  

良かったら、こちらも見て頂けましたら、嬉しいです

 

【無駄って、その人次第ですよね】ということを

テーマに書きましたので、ぜひよろしくお願いします

 

リンクはこちらです🔽

 

otamablog.hatenablog.jp

 

 

 

では、今回の内容に、まいりましょう 

 

 

【無駄って、余裕のあらわれだと思う】

 

本当に大変な時、忙しい時って

余裕なんて無いですよね

 

【無駄なことをした余裕】なんて

感じている暇は無い。

 

ということは

【いやーこれ無駄だったなぁ】と思える時は

 

まだ【余裕がある】ということですよね。

 

余裕があるから、考える暇があるのかなと

 

本当に切羽詰まったら、とにかくシャカリキに

目の前のことをするイメージなんです

 

 

ただ、

 

決められたことを繰り返す単純作業とかではなく

常に考え、発想力がとても問われる方は別なのかなと。

 

そういう方は、考えることが単純作業とイコールではないけど

近しい意味合いになりそうだなぁと、思いまして。

 

その場合、【これ無駄だったな】と冷静に考え

切り替えることが、余裕に繋がるとすると

 

そもそも心に余裕がないと、大変なのかな、と思いまして。

 

冷静に判断するのであれば、心に余裕があったほうが

判断が正確になりやすいと思うので

 

そもそも必要な条件なのかもしれませんが。

 

 

とまぁ、

 

『あぁ〜いやぁ〜これ無駄だったなぁ 笑 』

となれることは

 

新たな気づきも得て、切羽詰まってないことが多いですし

まだ余裕があるという

 

【恵まれた状況なんだな】と思うこの頃です

 

 

【無駄を上手く実感できたら、心の充実化に繋がるかも】

 

上述しました

【無駄を感じることは、心の余裕のあらわれ】

 

これって、自分で意識しないと感じられないことが

多いと思うのです

 

僕がそうです(笑)

 

イヤイヤやらなきゃいけないことって

たくさんあるじゃないですか

 

そんな時に『無駄がわかるってことはまだ余裕なんだよ』

と言われても

 

『あなたに何がわかるのよ』

『俺や私だって辛いんだよ』

 

となることが多いと思うんです

 

 なぜなら、自分が辛い辛いという状況を受け入れ

それでも辛いだけじゃなく、別の糸口を見出すような考え方を、しないと

 

余裕は生まれないことが多い、と思うからです

 

この段階に行く前に

【あぁ〜やだ、あぁ〜やだ!】となることが多い

 

それはそうですよね

 

『嫌だ』という気持ちって、強いじゃないですか

人って、嬉しいことより、不快なことの方が

 

強く心に残る

 

それだけ不快に感じることに

敏感なんだと思うんです

 

それを意識してコントロールしないと

ほとんどの場合

 

不快な感情で、いっぱいいっぱいになるじゃないかと。

 

自然な反応だと思うんです

 

 

ただ、勿体無いなと思うことは

 

その憂さ晴らしを、あまり自分が満たされることではないことで

解決しようとすることです

 

頑張って手に入れたお金という

換金ツールを

 

あまり充実を感じられないものに、変換してしまう

 

これは勿体無いなと思うのです。

 

ただ、じゃあどうしたらいいのかと。

 

どうすれば満足できるんだと。

言いたくもなれば、思うこともあるはずです。

 

 

それは僕にもわかりません。

 

 

なにそれぇぇ。。。

 

 

と思いましたね?(笑)

 

 

理由はあります。

 

なぜなら、その人が満足できるポイントは

その人次第、だからと思うからです

 

いろんな人がいて、一分一秒同じ人生を歩んだ人って

想像するだけでも難しい

 

人は経験や環境に大きく影響される

 

これだけを考えても、万人に共通する

満足ポイントなんて、わからないなぁと

 

今の暮らしに満足できる人もいれば

野心的じゃないと満足できない人もいる。

 

野心的になること一つとっても

その原因っていろいろあるだろうし。

 

子供の時に、親に、周りの子供と比べられて

劣等感が強まり

 

大人になって、劣等感に対して

【そんな必要はない】【自分は自分でいい】

 

と頭では思っても

気持ちが追いついてこない人も、いると思うんです

 

そういう人に、今に満足しようと言っても難しいはず。

言われてできるなら、とっくにやってるんじゃないかと。

 

 

相当素直な人なら、【はっ!】と気づいて、できるかもしれませんが。

 

劣等感の強い人が、素直に人の話を聞くことって

可能性でいったら、少なそうなイメージなんです

 

なんでかって、『悔しさが残ってる』からかなと。

 

その中で、自分が心理的に優位に立つためには

 

物理的に勝っている状態を作ることが

わかりやすいと思うんです

 

目で見て、わかりやすい形だと思うんです

自分が優位に立って、悔しそうな人を見れば。

 

自分はこれだけ稼いだんだ、賢くなったんだ

すごいだろー!って。

 

 

形にした方が、本人も周りもわかりやすい。

見たものに人は影響されやすいはずだと思うのです。

 

野心的になるほとんどの理由は

他人や世の中(小集団も含む)に

 

自分はこんなことができるんだ!

すごいだろ!

 

って言っても言わなくても、なんらかの形で主張できてないと

自分の価値を認めることが難しい

 

心の悲鳴でもあると思うんですよね

 

 

体に生まれつき持った特徴がある方や

いわゆる世の中から見た「不自由さ」を持つ人からみれば

 

健康に生きていられることが羨ましくて

仕方がないはずです

 

健康とはこうです!と定義された世の中で。

 

【どうしてそんなに人にアピールしたいの?

毎日歩けてポテチ食べれて、十分幸せじゃない!】って。

 

(いや、ポテチ関係ないでしょ、otamaさんってツッコミは

なしでお願いします 笑 )

 

 

もしかしたらですが、これは憶測ですが

【人と比べた上で、自分を受け入れた強さ】

 

なのかなぁとも思ってます。

 

比べるだけではなく、自分を満たすにはどうしたらいいかを

自分と向き合ったからこその

 

今に有り難みを感じられるもの、なのかなと。

 

 

いわゆる健康な人のほとんどは、今を当たり前と考えて

生きている

 

今に満足できない

 

なぜなら結局、他人を物差しとする比重が強いからかなと。

 

ただ、今目の前にある現実を受け入れ

生きていくことに、不安があるんだと思うんです

 

【生きていられることが前提で、成り立っていること】

【生きていられる、健康な体があること】

 

感謝することが難しい、言うなれば

喜びの水準が上がっている状態

 

これは、人間という動物としての、仕方のないポイントなのかなって

思うんです

 

人って、慣れては飽きて、興味を持つことを

繰り返す生き物だと思うんです

 

なので、ずっと同じ水準に喜びを見出すことって

人という動物のリズムとしては

 

そもそも不自然なのかもしれません

 

文明だって、常に発展してますし、

もしかしたら、悪い点では無いのかもしれません

 

ただ、常に上を見続けて、行動し続けることって

 

常に頑張らなきゃいけない

 

頑張って成果を手にすることは、成果を手にする上で

当たり前としても

 

社会的に認められました、お金も地位も手にしました

でも、結局幸せは家族とゆっくり過ごすことに

 

今気づきました

 

 

ってこと、耳にするじゃないですか

 

...

 

幸せの原型って、足元に散らばってると思うんです

 

ここで起きたことは、自分以外の外側に

努力した結果を見せつけ、すごい人だと思わせた結果

 

それでは心からの喜びはなく

喜びはすぐ側にあったということで。

 

子供の時に、友達と何かで競って

そこで心から喜べた場合と、同じことだと思うんです

 

でも人は、慣れ、飽きる。

時に、細かいところを見落とてしまう

 

だから、わかりやすい痛い思いをして

ようやく【はっ】とする。

 

もしくは、それは世間の常識・なんとなく流れている

空気感の上にある物差しであって

 

本当に自分が求める基準でないかも?

とどこかで気づくことも、あると思います

 

これは規模の問題ではなく、質の問題だと思います

 

 

子供の時から、こう思っていて

今も変わらないポイントの一つであります

 

ただ残念ことに、こういうことを話して

理解してもらえたことが

 

ほとんどありません(笑)

 

くだらねぇ(笑)と笑われることが

ほとんどです。

 

 

ナイーブな僕にはこたえるんですよねぇ

くだらねぇとか言われるの。(笑)

 

ガラスのハートなんですよぉ

修復やお治し効きませんからね?(笑)

 

...

 

茶番は置いといて。

 

一個人の考えなので、正解かどうかもわかりませんが

ただ今の自分を作る上で、重要なポイントの一つではあります。

 

あくまで一例ですが

おそらく、こういうこともあると思うんです。

 

 

話を戻しますと、野心的になる理由って、その人のせいというより

もはや誰のせいにもできなかったりしますよね

 

親だって、自分の親やいろんなことから影響を受けるし

完璧ではない。

 

それが連鎖すれば、もう人類の始まりに文句を言うしか

ないじゃないですか(笑)

 

こんなことしたって、キリが無いし

なんの解決にもならない。

 

だから、自分が本当にどんな時に何を感じ

求めているのかは

 

自分で判断するしかない

と思うんです

 

 

長くなり、かつ話が逸れましたが

 

野心的になっても、今に楽しみを見出すのも

その両方でも

 

その人が、それでいいと思うのなら

それでいいと思うんです

 

最後に【あぁ〜無駄だったぁ(笑)】となれる

余裕があれば

 

人生って、いろんな時に楽しめるんじゃないかなぁと。

 

お金をかけなくても【無駄】を感じることは

余裕を感じ、今に有り難みをくれるのかなと。

 

 

まとめますと🔽

・無駄を感じられるのは、余裕のあらわれの一つ

・自分が何に価値を置くかで、楽しさって変わると思う

 と考えてみました

 

 

次回は【喜びの基準をどこに置くか】をテーマに書いていきます٩꒰๑╹ω╹๑ ꒱۶ 

 

 

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ここまで読んで頂きありがとうございます

 

 「こんな風にしたら読みやすい」という部分が数多くあると思います

 

できるだけ、読みやすい記事を意識して参ります

 

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よろしくお願いします

 

 

おしまいっ!